

アンコナの休日。
ちょうど日曜日にアンコナに足をのばす。
アコーディオンの城砦町、カステルフィダルドからは直行のバスで40分ばかりかかる。
モニュメントという小さな小高い丘の公園。その直下からバスに乗った。ゆるやかな傾斜を下る。
季節は4月。まだ冬の樹が、時折若い葉を出して春の風を探している。
アンコナは中部イタリアの海の玄関口という。アドリアの海に接するその港からは
対岸のギリシャ、アルバニア、ユーゴスラビアなどバルカン諸国をのぞみ、さらにエジプトやイスタンブール
にむけ、開いている。フェリーの一大ハブ港になっている。
船がつくや多様な目の色や肌の人々が下船してくる。

昔、その昔。アコーディオンは船乗りの愛用品として世界に広がった。カステルフィダルドでできたそのアコーディオンを、このアンコナの港から水夫たちが携えて荒海に出ていった。
おそらく海を越え、海峡をこえて地の果てについたその先、バンドネオンとして普及したアルゼンチンも、船乗りが運んだに違いない、と思った。



バルカン地方か、いずこかは分からないが眼の黒い男がひとり、街角でアコーディオンを弾いていた。
静かな日曜のまだ昼前のその時間には、まして名もないアコーディオン弾きに銭をくれる人などいない。
通りをいく人に、そこに居ることさえ気づかれない彼は、所在なげになにやら弾いていた。Hohnerの小型アコーディオン。ずいぶん使い込んだもののようだった。写真を撮っていいかというと、にこりともしないで、うなずいた。
彼への気持ちに小銭ををさがしているうちにどっかに消えてしまった。


アンコナもゆるく、大きなきうねる坂道が町の両脇に広がっている。
少し高いところまで登ってみた。カステルフィダルドもそうだが、イタリアの人は坂道を気にしない。
きっと脚が丈夫なのだろうか、とおのれの痛む脚を思う。
道ばたに古いレンガの壁が苔むしている。ずいぶんと古い時代のもののようだが知るすべもない。切り込みの
30cmもないわずかな隙間にハトが住み着いている。


多少、長居をした。
今日はカステルフィダルドのGABBANELLI工場のことを書きます。
GABBANELLI社というか、個人工場のGABBANELLI一家は、坂の城砦都市、カステルフィダルドのちょうどてっぺんあたりにある。隣がBORSINI、裏はVictoriaだ。
そのGABBANELLIは衰退の大波にのまれながら何とか親子で踏みとどまってきた。
今でもピアノ式、ボタン式各種リードセットのアコーディオンを製造している。もっとも従業員といえば、2代目のウバロと3代目のエリオの2人だけだ。世界で1,2を争う小さな工場だ。かっては20数人の職人がいたという。




あのHohnerも自社製造をやめた。ということは製造業をやめブ゙ランド卸売業に業態転換。「唯一Morinoだけ最終工程のチェックをしている」、とHohnerのマネージャーが言っていた。イタリアのアコーディオン製造会社にそのことを言うと、「それもどうだかネ?もうつくれる職人はいない、らしいけど」と意味深なもの言い。
Excelsiorも先年、閉鎖され多くの職人が離れた。すでにブランドはPiginiに移管され、Paolo SopraniもSHEMに吸収されちまった。



彼ら、カステルフィダルドの職人たちは、隣の工場のことについて多くをかたろうとしない。
それは、かっての仲間が迎えた破局なのだ。いつ自分たちに押しかけてこないとも限らない。「その日」をイメージするからなのだろうか。
GABBANELLIの工場は間口10mほどの1Fに石の階段つづきの2Fと資材置き場、洞窟のようなオフィスからなっている。主に木工を1Fで行い、部品取り付け、セルロイド加工、みがき、調律を2Fでやっている。
もう60年も使ってきている、という掘削工具がそのあたりにいくつかある。刻んで刻んで、来る日も来る日もアコーディオンをつくってきた。ウバロじいさんなんぞ、小学校のころから親父(初代エリオ ガバネリ)の手伝いをしてアコーディオンをつくってきたんだ、と息子がウバロの替わりに説明してくれた。

ほこりのついた資材置き場には黄金時代をほうふつさせる仕上げ用のGOLDやシルバーのセルロイドが無造作に積み上げられている。アメリカの夢を、携帯型ピアノを買って数十マイルも離れたバックカントリーで身近な音楽を。あのプレスリーもジョンレノンも、やはり音楽をはじめた頃アコーディオンを弾いていたという。
時代をへた資材のようにじっと、ひたすらスポットライトがあたるその日を、まっている。カステルフィダルドのGABBANELLIはまだ健在だ。