HOHNERの本拠は高原の町にあった。 標高650m。長野・松本市より少し高い標高にあたる。
ときおり吹き抜ける風が標高2mの浦安に居住する私には新鮮に感じられた。風が違う。
100年以上まえからあった旧第一工場から最新設備にかえて、ちょうど20年まえ竣工した黄色の建物。HOHNER第二工場の脇を通って、丘に上ってみた。なだらかな起伏の続く路だ。
日本から着いたばかりでまだ体調も戻りきっていない。肩で息をしながら上っていく。
夏至の直前のドイツ。ちょうど日本では梅雨あけに照りつける陽射しに似ている
見知らぬ土地にいくといつも小高いところに登りたくなる。なぜだろうかと思う。
そこから町を一目で眺めることができる。地形だけではない。家並み、くねった道路。起伏、河川らしきくぼみ、そしてゆるやかに続く畠のむこうにはもうひとつ村がある。冬は厳しい気候とその土地ならではの恵みに思いをめぐらせる。ここに人が営み、町をつくってきた。「音楽の町」トロッシンゲン。その印象を脳裏に焼きこんでいく。

片面300mを越す四角形をした巨大なHOHNER第二工場の建屋のむこう、西側に黒い森「シュバルツ・ヴアルト」のなだらかな森が迫っている。幾重にも積み重なったその森の標高は1000mというからそう高くはない。深い青色の森だ。まばゆい空を、斜めに鋭く切り取ったように深く青い稜線が伸びている。西の稜線をはるかに超えればフランス国境に近い。南の丘をこえればスイスに届く。この「音楽の街」トロッシンゲンは、数多くの音楽家、演奏者をはぐくんできた。新しい風を呼び込む土地はここドイツにあってすでに異国の風を取り込むに有利な地形にあったのだと思う。
HOHNERの工場で、実際にGOLA,MORINOの製造ラインに加わって調律、音づくりの収得をすることが今回の目的である。そのため千葉からここまでやってきた。ハーモニカ工場から150年。アコーディオンだけでも100年を超える。世界最大の工場である。果たして私の手に負えるものだろうか。1930年代からモリノ(Venanzio Morino,1876~1961)師が1950年代からはゴラ(Giovanni GOLA, 1907~1978)師が請われてここの旧工場でアコーディオンを設計し、自ら作ってきた。2人の著名な師のほかに、Coronaを作った人、Atlanticを作った人、Verdiを作った人。おびただしい職人が一心に音作りに貢献してきた。心血を注いできたにちがいない。今、私がゆたかな音を、弾き味を身近に得ることができるのも彼らの、先人の職人のおかげである。その旧工場は、最盛時には5000人を超えたという。おそらく世界有数の大規模工場であった。彼らの残してきたもの、それはおびただしい数の楽器だけではに。アコーディオンがもっともアコーディオンらしいそのこととは何か?エッセンシャルを教わりながら、私も音作りの考え方を掘り下げてみたいと思った。

私は、10年まえから楽器の旅をしてきた。それは買付ける楽器の旅ではなく、より美しい音色を、弾きごこちを求める旅である。神の声を聞き、神とともにあらんとする巡礼者の旅のようだとも思う。イタリア、カステルフィダルドとストラデーラ。アメリカ、シカゴ。そして今回のドイツと私の音作りの旅はくりかえされてきた。そのたびに多くの善意あふれる友人を得、そしてかけがえのない知識をいただいた。彼らの善意に報いるためにも、再生楽器の再生技術、再生調律の本流を見極め、理解し、残していく。それを可能な限りひろげ、欲しいという人に届けたいと思う。
丘のうえに流れる雲をみながらふと足下をみると無数の小さな花が咲いている斜面があった。ここは牧草地だろうか、ほとんど同じ寸法で並んだその草からは、白、ピンク、だいだい、赤、紫といくつもある。あたりは香草のかおりが流れている。すこし甘く、やわらかい香りだった。豊かな音色の世界の花である。
明日 8時には工場に入る。専用の通行証も手元に届いた。

