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2 アコーディオンのDNA
アコーディオンはいつ、誰が発明したのでしょうか。
アコーディオンは太古の時代から私たちの祖先が知恵を出して作ってきた楽器の集大成ともいえます。
直接的には1822年 ドイツの技術者F.ブッシュマンが楽器の調律用に作った道具、金属リードで鳴るハンドエリオーネだろう、といわれます。
*リード :河川に生えるアシの茎のこと。茎をけずって笛~オーボエなど~の音源にしています。
そこから振動の 簧(した) のことをリードというようになりました。
(写真 ブッシュマン)
アコーディオンは複数のアイディアを集大成した楽器です。F.ブッシュマン以降、C.デミアンはじめ、P.ソプラーニ、ダラッペ、M.ホーナーなどそれぞれアイディアを----
アコーディオンはいつ、誰が発明したのでしょうか。
アコーディオンは複数のアイディアを集大成した楽器です。
F.ブッシュマン以降、C.デミアンはじめ、P.ソプラーニ、ダラッペ、M.ホーナーなどそれぞれアイディアを競い、加味して楽器としての内容をいっそう豊かにしてきました。
アコーディオンの音源であるリード自体の歴史は古くBC2500年ごろから、中国で使われ始めた笙 (チェン、日本の雅楽に使われるものと同じ)に由来します。それをジャバラの風力で鳴らすという発想はパイプオルガンやポルタティフ(小型パイプオルガン)から、リード自体は手回しオルガン、オルゴールなどから、あるいはオーボエのようなシングルリード楽器から、スイッチはやはりパイプオルガンからのアイディアにも由来すると思われます。

同じ金属リードで鳴るコンサルティナもほぼ同じ時代1829年に、C.Wheatstoneが発明しています。この1800年前半,産業革命によってあらゆる分野で欧州一帯が「新製品」、「新技術」に沸いていたのだろうと推測できます。科学、技術が花開きはじめたのです。
ブッシュマンから数年のち、1829年ウィーンでC.デミアンが現状のダイアトニックボタン式アコーディオンに近いものを作りました。ウィーンはアコーディオンの最初のメッカでまもなくフランス、ドイツ、イタリア、ロシアなどに伝播していきます。ウィーンで有名なものが3列式ボタンでバスも12音あるシュランメルモデルで、これは150年たった今も製造されているようです。(写真 下)
ピアノ鍵盤型のアコーディオンは1854年には出来たそうですが、普及しはじめたのは1920年前後、世界的な「タンゴブーム」がおこったことがきっかけだそうです。ブームでタンゴに不可欠なバンドネオン弾きが足りないなかで、ピアノ奏者を狩り出すため彼らが弾き易いピアノ鍵盤が大いに重宝されたということです。
ところで、アコーディオンを世界に広めた最大の功労者は「船のり」だったのです。長い航海の友に携帯されました。アルゼンチンではバンドネオンが定着したほか世界中で、その土地、文化にあったリード楽器として愛用されていきます。
2つの世界大戦でも従軍する兵士がアコーディオンを携帯しました。どの塹壕にもアコーディオンがあったということです。イギリスのコンサルティナも数多く使用され、終戦後それが払い下げられて、その中にいくつかの名器が出てきたという小説にもなりそうなエピソードがいくつもあります。
1950年から1970年にかけての時代を 「Golden Age of Accordion」 といいます。この時代極めて数多くのメーカーがアコーディオンを作り世に送り出しました。デザイン、部品も多様で、木材、金属など現代でも入手しにくいものがふんだんに使われ、作られた時代でもあります。この時代の楽器でよく調整されたものは「音質がよい」ことで有名です。

貴重なショット。 右から Gola, Morino。 1960年代後半の写真。
HOHNER工場で不世出の二人の楽器マエストロが最高峰の楽器を目指していた。同じ頃、故郷のItalyでは、毎月 貨物船に満載してアコーディオンが輸出されていた。2人のマエストロはそのバブルをよそ目に、トロッシンゲンで理想とする楽器づくりにまい進していた。 Morinoは当地で没し、Golaは故郷のItaly Stradellaに 帰郷し、まもなく没した。

Gola ツーショット。 時代をへたGola と 弟分 Golina.
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